使節団の主目的は、次の3つでした。(1)幕末に条約を結んだ国への新政府による国書の奉呈(2)条約改正への予備交渉(3)米欧各国の近代的制度・文物視察と調査と友好親善。明治3年に財政制度調査のためにアメリカに渡った伊藤博文は、列国との間で交わされた当時の条約が日本にとって極めて不利、と痛感。翌年には、米欧諸国へ外交・政治上の主要人物を派遣し、実情を調査することを提言しています。
廃藩置県も断行されたその明治4年の年末に、この莫大な予算を伴う使節団が出航したことを考えると、当時の明治政府の切実感、切迫感が伝わります。使節団にはほかに木戸孝允、大久保利通、山口尚芳ら、倒幕から新政府運営までの重要メンバーが参加。残った政府は、西郷隆盛らによる「留守政府」と呼ばれました。
司馬遼太郎氏が「世界史のどこに、新国家ができて早々、革命の英雄豪傑たちが地球のあちこちを見てまわって、どのような国を作るべきかをうろついてみてまわった国があったでしょうか。」(『「明治」という国家』)と語ったほどに、新政府は早急に国家の青写真を描く必要に迫られていたのでしょう。
使節団出航と同時代頃のニューヨーク州のイメージイラスト