晴れ渡る初夏の水田
今も昔も長雨はものおもいを呼んだようです。
近代以降の俳句で使われる「梅雨」という言葉は、すこし味わいが違います。
〈身のまはり梅雨ただ梅雨のあるばかり〉相馬遷子
〈狂言の世に梅雨の幕垂れたるよ〉平井照敏
〈雨ふるふるさとははだしであるく〉種田山頭火
照敏句はまるでお芝居のような虚実こもごもの世間に梅雨の帳(とばり)が静かに下りてくる、といっているのでしょうか。どことなくユーモアも感じます。
山頭火は出家して各地をさまよい歩いたことで知られます。
五七五によらない自由な音数の俳句「自由律俳句」の代表的な俳人。独特の解放感がある句です。
〈万華鏡めきて尾灯や梅雨の街〉阿波野青畝
尾灯は車のテールランプのことでしょう。雨の中に霞んだ都市が幻のように浮かんでいます。
禅問答のような、なんとも不思議な味わいの句を一句。
〈梅雨に入りて細かに笑ふ鯰かな〉永田耕衣