この季節で最も有名な季語は「万緑」でしょう。
日本で俳句の季語として使ったのは俳人の中村草田男ですが、もともと中国・宋時代の詩人王安石(おうあんせき)の「万緑叢中紅一点」(「詠柘榴詩」)です。
あたり一面の新緑の中に赤い花が一輪だけ咲いているという意味、そして多くの男性の中に一人だけ女性がいることのたとえにもなっています。いわゆる「紅一点」です。
〈万緑や吾子の歯生えそむる〉中村草田男
すべてが緑に包まれた中で、小さな子どもの歯が一本生えてきた、というのです。
「万緑」という大きなスケールの言葉と赤ん坊の小さな歯のコントラストが美しく、今でも愛誦されます。
〈万緑や我が掌に釘の痕もなし〉山口誓子
この句は説明が必要かもしれません。
手の平の釘のあと、というのはキリストがはりつけにされた時の傷のことを指しています。スティグマ(聖痕)ともいいます。
自分の手の平には聖痕などないから、聖人などではないけど、美しい季節のなかで充足した人生を送っている、という含意もあるかもしれません。
新しい季語ですが、近代の俳句らしい、広がりのある句がたくさんあります。
〈万緑やわが恋川をへめぐれる〉角川源義
〈万緑をしりぞけて滝とどろけり〉鷲谷七菜子
「緑陰」という、これも新しい季語もあります。若葉がきらめく中、樹木の下にできる陰のことです。
〈緑陰や少女言葉はすぐ弾け〉加藤楸邨
〈緑陰のわが入るとき動くなり〉永田耕衣
〈緑陰に三人の老婆わらへりき〉西東三鬼