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Utsuke Bron

6月3日は測量の日。地図はどうやって作られた?

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6月3日は測量の日。地図はどうやって作られた?


測量の証しである「ピラミッド」。その運搬と積み上げの方法には未だに大きな謎が存在している

測量の証しである「ピラミッド」。その運搬と積み上げの方法には未だに大きな謎が存在している

今日6月3日が「測量の日」であることを、知らなかった人も多いことでしょう。
測量とは、地表上の点の関係位置を決めるための技術・作業のこと。
一般に馴染みがない技術と思われがちですが、私たちが日頃目にする天気図は正確な地図があって成り立つものです。
現代の生活の中で、地図がない生活は考えられないでしょうが、それは測量の技術があったからこそ。
測量の技術は、どのように発展していったのでしょうか? 測量にまつわるエピソードを紹介します。 

測量がもたらした傑作「ピラミッド」

人間は一体いつから測量を行っていたのでしょうか?
一説には、紀元前2600年頃の古代エジプトでは、すでに測量が行われていたといいます。その証拠が「ピラミッド」です。

古代エジプトを象徴する建造物「ピラミッド」。
その底面の4つの点は、それぞれ東西南北を指しているのです。
また、頂点に向かい、斜めに傾くことなく正確な傾斜で段が積み重ねられています。この頃から定規や水準測定器など測量用器具は存在していたといわれています。 

地図はどうやって作られた?

島が点在するマーシャル諸島

島が点在するマーシャル諸島

世界で初めて作られた地図は一体どこのものなのでしょうか?
実用的なものでいうと、マーシャル諸島では貝殻と木の枝を使って漁に出る際の航路図として、それぞれの島の位置を表していたといいます。
「太平洋に浮かぶ真珠の首飾り」とも称されるマーシャル諸島は5つの島と29の環礁が点在しているという特徴から、早々と地図のようなものが活用されていたようです。

また、現存する世界最古の地図とされているのが「バビロニア(現在のイラク)の世界図」です。
紙がまだなかったので、粘土板に描かれたものでした。当時のバビロニアの人々が考えていた全世界を描いたものなので実際の位置や大きさと異なるところもあります。
彼らの考えでは地球は円形で外側は海で囲まれており、さらにその外側は死後の世界を表していたといいます。 

伊能忠敬の地図作り

日本地図を背にした伊能忠敬像(富岡八幡宮)

日本地図を背にした伊能忠敬像(富岡八幡宮)

日本では江戸時代、伊能忠敬によって日本地図が作られていきました。
しかも、驚くことに測量の勉強を始めたのは49歳のこと! 恐るべき知識欲求ですね。
天文学や暦学を学ぶうちに、「地球の大きさをはかってみたい」という意欲に駆られたのだとか。

伊能が測量を始めたのは1800年のこと。日本各地へ測量隊とともに足を運び、現在の北海道の東側、南側、東北、本州、四国、九州……、さらには種子島や淡路島など離島へも訪れました。ただし、沖縄や奄美大島へは訪れることができなかったそうです。

いろいろな測量方法がありますが、伊能が主に行ったのが「導線法」というもの。
これは、竹の物差しや歩く歩幅などで目的地への距離を測るといった、かなりシンプルな方法。
その測量結果をノートにひたすら書いていき地図を作成していきますが、それはもちろん手書きです。
気が遠くなるほど地道な作業だったことでしょう。約17年物もの年月を費やして、日本地図を完成させたというから驚きです。

── はるか古代から行われ続けてきた測量。昔の地図と今の地図、比べてみるのもおもしろいかもしれませんね。 

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