1900年漱石33才。二年に及ぶイギリスへの留学の前に寺田寅彦にこんな句を送っています。
「秋風の一人を吹くや海の上」
大きな希望に胸をふくらませた旅立ち、というより少し寂しそうな句ですね。
漱石は文部省からロンドン留学を命ぜられたとき、「自分は特に洋行の希望を抱いてはいないので、他に適当な人が行けばいいと思う」と答えるくらい留学には消極的でした。
さて漱石は留学中どこの大学でどんな研究をしたのでしょうか?
じつはロンドンで漱石は大学へは行っていません。到着早々ケンブリッジ大学に様子を見に行ったようですが、そこで出会った日本人はこぞって裕福な家のお坊ちゃんばかり。潤沢な送金を得て箔をつけるための留学生は、勉学よりも社交に忙しく、官費で留学した漱石には遠い人々でした。次にロンドン大学にむかいます。しかし聴講した文学史は漱石が期待していたほどではなく落胆します。結局シェークスピア学者クレイグ氏に一年ほど個人教授をうけることになります。クレイグ氏とのエピソードは『永日小品』の一編となっています。
ロンドンで漱石が英文学の研究に行き詰まり苦悩したことは有名ですが、漱石は衣食を惜しんで本を買い集め読書の日々を送っていたようです。海外の研究者と交流を持ち、大学や研究所で知識を吸収したり研究を行うことがなかったことは、漱石をいっそう孤独にしていったと思われます。