両日とも夜まで賑わいます
浅草寺のご本尊は観世音菩薩で、「浅草観音」として親しまれています。一般的に観音さまの縁日は毎月18日ですが、これとは別に室町時代以降、「功徳日(くどくび)」と呼ばれる縁日が新たに加えられました。月に一日設けられた功徳日に参拝すると、百日分、千日分の参拝に相当するご利益(功徳)が得られるとされたのです。中でも7月10日が、功徳が千日分と最も多い「千日詣り」。浅草寺でも江戸時代の記録を見ると、元禄年間(1688-1704)では「七月十日、観音千日参」のままでした。
しかしその後享保年間(1716-1736)には、浅草寺で7月10日が「四万六千日」と呼ばれた記録があり、そのご利益が4万6000日分(約126年分)に相当するといわれるようになっています。享和3(1803)年刊行の『増補江戸年中行事』には、「七月十日観音四万六千日、浅草は両日共に昼夜をわかたず、貴賤群衆する事、殊におびただし」と残されています。尚、四万六千日の数については「米一升分の米粒の数が46,000粒にあたり、一升と一生をかけた」など諸説ありますが、定説はないそうです。
元禄から享保の数十年の間に千日が四万六千日へと画期的に増幅されていることも愉快ですが、そのお参りが享和への数十年の間にますます賑わいを見せ、その後二百年以上経った今も、老若男女が集う同じ光景を現している浅草寺。この存在自体がまさに時を超えた、ありがたい功徳といえるかもしれません。