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菊・その光と陰の歴史とは? 七十二候「菊花開(きくのはなひらく)」

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菊・その光と陰の歴史とは? 七十二候「菊花開(きくのはなひらく)」

めでたい?めでたくない?

めでたい?めでたくない?

本日10月13日より「寒露」の次候「菊花開(きくのはなひらく)」となります。読んで字の如し、菊の花が咲き始める季節、という意味です。丁度旧暦の重陽の節句(菊の節句)を迎えたばかりの時期。秋の深まりとともに各地で菊の品評会や菊人形展が催され、野辺には野菊も花盛り。ただその一方で、菊というと花屋にはいつでも仏前に供える菊が並んでいて、特段菊に目を引かれる人もいないよう。
菊はあらゆる植物の中でもっとも高貴で、皇室のシンボル、パスポートや国会議員の議員バッジの意匠になるほどグレードの高い花という位置づけがある一方、陰気臭くてどことなく喜ばしくない花、と言う両極端の印象が共存しているギャップの大きな植物。この季節の明るく高く澄んだ空と、日脚が短くなりひんやりとした日陰の色の濃さのコントラストをまるで象徴しているようです。どうしてこれほどイメージに落差があるのでしょうか。

菊・その栄光の時代

種類も色もさまざま。食用に、薬に、鑑賞にと世界中で愛される花

種類も色もさまざま。食用に、薬に、鑑賞にと世界中で愛される花

広い意味での「キク科」は、もっとも進化し分化した被子植物といわれ、世界中にその仲間が分布しています。身近なタンポポやコスモス、ヒマワリはもちろん、ダリアやガーベラ、マリーゴールドなども洋種の栽培菊。また野菜でも、食用菊はもちろん、レタスやごぼう、春菊、フキ、俗に「刺身に乗ったタンポポ」といわれる小菊も当然キク科。こうしてみますと、その大繁栄ぶりもさることながら、人間とのかかわりの深さも並々ならないものがあるのが分かるのではないでしょうか。
一方、狭義での「菊」は、平安時代に中国から伝わったといわれています。中国では前漢時代(BC3世紀~1世紀)には栽培菊の原種と推測される「鞠(きく)」の記述が現れるため、その頃にはすでに栽培されていたようです。「鞠」は「菊」の元の字で、日本では宮中で行なわれた「蹴鞠」などの言葉として残り、「けまり」という読み以外に「しゅうきく」とも呼ばれていますね。中国では菊は「四君子(しくんし)」の一つとして称えられ尊重されました。四君子とは、蘭、竹、菊、梅の4種を指し、これらが君子の気品・特長に譬えられる特別な草木であるとされました。また神聖な力を持つ薬として「軽身耐老延年」、つまり健康長寿に顕著な効能ありとして珍重されました。
日本でもそれに倣い、菊は高貴な花、また薬草として大切にされ、王朝文化に彩りを与えました。
そして貴族社会から武家政権へと転換する平安末期から鎌倉初期に、承久の乱を起こした武闘派の皇族・後鳥羽上皇が腰刀に自身の印章として十六弁の菊紋を彫り、以降の天皇もそれを引き継いだため、いつしか天皇家を表わす紋章として「十六八重表菊」が定着していきました。
江戸時代に入ると、花菖蒲や朝顔、桜などとともに菊の品種開発がまさに花盛りとなり、花壇に菊を寄せて植えた「花壇菊」や、富士山や人形などを模す「菊細工」が大いに江戸っ子を楽しませるアトラクションとして親しまれるようになりました。また、「古典菊」として江戸、伊勢、熊本、美濃など各地で美しい鉢植えの仕立て菊が進化し、それは本家の中国にも逆輸入されて清代の芸術に影響を与え、遠くヨーロッパにも伝えられて名をはせ、ジャポニズムブームに大いに貢献するほど。
このように、ざっと菊の歴史をひもとけば何とも華やか。おめでたい花としか言いようがありません。
でも、現代の私たちにはその逆、どうも菊というと「おめでたくない」イメージが定着していますよね。なぜでしょうか。 

それは菊の通年栽培「電照菊」にはじまった

その便利さゆえに定着したイメージ

その便利さゆえに定着したイメージ

言うまでもなく、それは菊が仏前・墓前に供える花、「お葬式の花」として定着しているから以外にはありえません。日本人で白い菊の花束を贈られて喜ぶ人はいないでしょう。それくらい、不吉、不祝儀のシンボルとなってしまっていますよね。
なぜ菊が死者に捧げる花となったのか、理由は諸説ありますが、その歴史は実は浅く、つい近年に定着したのが事実のよう。
キク類の切り花生産量に占める割合は40%近くもあり、全体の三分の一以上。通年、葬儀用の花として需要があるからに他なりません。逆に言うと、菊が通年供給可能だからこそ、一年中必要とされる葬儀花になりえたのです。
菊は秋の花ですから短日植物。つまり日中の時間が短くなる時期に花を咲かせる習性の植物です。この習性を利用して、愛知県の渥美半島で、戦後すぐの頃から「電照菊」栽培がはじまりました。電照菊とは、菊が秋の開花に備えて日の長い夏に花芽をつける性質を利用し、夜間に電気照明を当てて長い昼を演出して、正月や春に花が咲くようにする技術です。この技術と流通の確立により、菊は秋だけではなく周年花を調達できるようになり、いつしか葬儀用にいつでもそろえられる花として利用されるようになったのです。葬儀形式自体も、戦前ごろまでは普通だった野辺送り(葬送の行列)が廃れ、自宅もしくは葬儀場での祭壇が主流になったため、祭壇を飾る花の需要が爆発的に伸びたことも、電照菊の需要と普及に拍車をかけました。落ち着いた葉色や棘のないこと、花粉が少なく花もちのよい菊の性質が、葬儀花としての好適だったこともあるでしょう。

つまり、実のところ菊が葬儀花になるのは戦後からのことであり、その長い歴史から見るとほんのわずかな期間に過ぎないわけです。
外国では、菊の花にはそんなイメージはありません(フランスでは白菊が葬儀を飾る花として好まれる、などの風習はありますが)から、大いに好まれ、明るく花壇を彩ったり、フラワーアレンジメントにも利用されています。日本人はこの不祝儀のイメージがあるからか、フラワーアレンジメントにも菊を使うことを避ける傾向があり、日本の菊は、華やかな場や日常から追いやられて、かなり不憫な扱いになっているように思います。
一方で、近年渥美半島や沖縄の「電照菊」の照明の景観が思いがけないイルミネーションの観光名所として近年注目を浴びている、という現象もあるようです。
一周回って、めでられる花として菊が復権する時代が、もしかしたらもうすぐ来るのかもしれません。 

人間社会とは無関係にかわいい「野菊」は花盛りです

野菊を愛でるならちょうど今頃

野菊を愛でるならちょうど今頃

「私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほど好もしいの。どうしてこんなかと、自分でも思う位」
「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」
(「野菊の墓」伊藤左千夫 より)

明治時代の恋愛小説の名作として有名な「野菊の墓」。現代で言うラノベか、「君の名は。」の新海誠監督の世界のような純愛物語です。
野菊と一口で言ってもごまんと数はあります。比較的初秋から咲き出すヨメナやシオンやノコンギク、晩秋を飾るアワコガネギクに、帰化植物のヒメジョオンや大型のキクイモもかわいい花ですね。栽培菊とは関係なく、野菊たちは秋の澄んだ空気の中でつつましく元気に咲いています。
秋晴れの季節。明るい野辺の菊も、是非お楽しみください。 

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