もともとは農耕儀礼として誕生した田楽でしたが、その派手な見た目から次第に演芸としての要素が重視されるようになりました。その後の「能」のルーツともいわれています。
田楽は農民だけでなく、貴族にも広まっていき爆発的な人気を博すようになったのです。
その最たる例が1096年に起こった「永長の大田楽」でしょう。
平安末期には田楽を行う集団「田楽座」が数多く現れました。その田楽座が次々と平安京の都大路を練り歩いていったところ、何と見物のための桟敷が崩落してしまったというのです。
ブームを超えてパニック状態ともいえそうですが、そのくらい当時の人々は田楽のとりこになっていたのでしょう。
しかし、その人気もあっけないもの……。
鎌倉末期には田楽の人気は次第に衰え、猿楽の人気に圧倒されるようになっていったのです。
田楽がしっかりと受け継がれたところは少なく、国の重要無形民俗文化財に指定されている熊野那智大社の「那智田楽」など数えるほどしかないとされています。