新緑の間に鯉幟(こいのぼり)のはためく、日の光に矢車のきらめく、何と心よいものではないか。櫨(のき)の菖蒲こそ今は見えぬが、菖蒲湯のすがすがしい香り、これも一寸古俗に心ゆかしさを感じさせられる。しかし何も彼も更新の時である、菖蒲も煮くたしたやうになっては野暮だ、清らかな新湯へ、さつと菖蒲を打込んだ其わづかの間に、湯姻の中から、すいとした、もたれつ気の無い匂に浸されるところに嬉しい、新しみの強い、いきいきした、張りのあるいい気持ちをおぼえるのだ。
──これは、東京生まれの作家・幸田露伴による「菖蒲湯」(昭和8年5月)という短文の一節。まさにこの立夏、端午の節句の頃合いを描写しています。「立夏」とは、二十四節気では夏のはじまり。太陽が黄径45度の点を通過するときをいいます。
毎年「端午の節句」もほぼ同日で、5月の風にひるがえる鯉幟は、夏を迎える旗印。
この鯉幟は、急流を溯ることができた魚は龍になるという、中国の「登龍門」の逸話にちなんだもの。立身出世を願う意味合いから、男の子がいる家庭にかかげられるものです。
ほかこの日に粽(ちまき)を食べるのは、中国の戦国時代・楚の詩人屈元(くつげん/紀元前339~278)を悼むため。競渡(けいと/船の競争)というボートレースがが行われるようになったのも、同じ意味合いで、長崎で行われる「長崎ペーロン」もまたこの流れをくみ、もともと端午の節句に行われていたと聞きます。
また立夏の風習としては、中国江南蘇州ではかつて、どの家でも家族の体重を大きな天秤ではかり、「秤人(しょうじん)」と称したとか。さらに夏の終わりを告げる「立秋」にもう一度はかり、夏痩せや夏ばてしてないか、チェックするような風習があったそうです。
汗ばむように暑くもなるこの時期、これから盛夏にかけて、私たちも体調管理に気をつけたいものですね。