山口県小郡町の其中庵跡
山頭火は山口県佐波村の生まれ。
早稲田大学まで進みますが、中退して故郷の酒造業に従事します。
大正2(1913)年、萩原井泉水に師事して俳句をつくるようになります。
しかし事業の経営に失敗してしまい、熊本や東京などに住みますが、結婚生活もうまくいかずその後出家、大正14(25)年にはあてのない放浪の旅に出ます。
その後は九州、四国、中国地方などを放浪しながら俳句を作りつづけます。
孤独を求めて旅に出たのに、孤独を耐えられず、もらった金で酒を呑む毎日です。
〈ふるさとの水だ腹いつぱい〉
〈もりもり盛りあがる雲へあゆむ〉
〈どうすることもできない矛盾を風が吹く〉
〈つきあたつて大きな樹〉
〈草の中に寝てゐたのか波の音〉
ある時期までは疲れるともとの妻のところに転がり込むこともありましたが、昭和7(1932)年には山口県小郡町に草庵を結び6年間を過ごします。
最後の地は愛媛県松山で、脳溢血で亡くなります。享年59。
社会も家族も捨てた、その人生は傍目には勝手気ままにも見えますが、彼にとっては作句と旅とは一種の修行であったようです。
自由な放浪へのあこがれ、自然の中での暮らし、そして独白のようなつぶやき──山頭火はなぜ日本人の心をとらえるのでしょうか。