「東京ではなく、なぜ別府なのですか?」
1994年、音楽祭の開催場所について質問されたアルゲリッチは「キョウコがいるから」と答えました。
キョウコとは別府在住のピアニスト伊藤京子のこと。
親交のあった二人はその頃、聴衆と一緒に音楽家が育っていけるような音楽会を企画していました。折しも国際的な催しで世界発信を願っていた別府市長が、伊藤を通じてアルゲリッチに協力を要請。快諾を得られたことから「別府の奇跡」が始まったのです。
まず、プレコンサートが企画され、1995年、アルゲリッチのソロ・リサイタルがバルトークの組曲作品14の軽快な舞曲で幕を開けました。
その後、プレコンサートは小澤征爾、ギドン・クレーメルなど世界的な音楽家を招いて3年間続き、1998年に第1回の音楽祭が開催されました。
音楽祭の正式名称「Argerich’s Meeting Point in Beppu~アルゲリッチの出会いの場~」には、「人が出会うことで多くのことが変わり、未来が開ける、幸せな出会いを多くの人々へ」という思いが込められています。