ナイチンゲールが派遣された、スクタリの兵舎病院は構造的に不備が多く、下水施設に欠陥があり、のちに改修されるまで、その死亡率が下がることはありませんでした。
ナイチンゲール自身もここで,クリミア熱に感染し(ブルセラ菌感染症と思われる熱病)あやうく命を落としかけることになりました。
英国にもどったあとも、その後遺症に悩まされました。長い仕事人生のうち、ほとんどの時間を、自分の部屋で過ごし、人を説いたり動かしたりするのは、もっぱら調査報告や著述を通してでした。
しかし病身を押して、少しでも多くの生命を救うための、事業に取り組みつづけました。