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霧の向こうからやってくるものは何? 七十二候「蒙霧升降」(ふかききりまとう)

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霧の向こうからやってくるものは何? 七十二候「蒙霧升降」(ふかききりまとう)

8月17日より、立秋の末候「「蒙霧升降」(ふかききりまとう)となります。「蒙霧(もうむ)」は、もうもうとたちこめた濃霧のこと。「升降」は「昇降」で、夜間気温が下がり夏の湿気の多い空気や土が冷やされ、濃い霧が地上や川から立ち上り、また空中から降りてくる頃。そして霧といえば秋の季語。近年の温暖化ではまだまだ猛暑の期間中という感覚かもしれませんが、お盆を過ぎて日脚も短くなってくるこの時期、夜風にひんやりとしたものを感じて夏の終わりに感傷的になった子供時代の思い出のある方も多いのではないでしょうか。

陰鬱でちょっと怖い霧。実はあの極上の一品の生成に大きく役立っています

貴腐ワインには霧が必要

貴腐ワインには霧が必要

霧は晴れた日の夜、放射冷却で地面付近の空気が冷やされたり、冷たい気流や水面と接触して冷やされたりなどして、空気中の水蒸気が凝結して発生します。気象用語では、視程1km未満の状態を「霧」、視程1km以上10km未満を「靄(もや)」といいます。特に濃い霧は「濃霧」といいますが、濃霧と呼ばれるのは視程が陸上で100m以下、海上で500m以下の霧のことで、このような霧が発生した場合は濃霧注意報が発令されます。
夏の終わりから秋口は、日中の気温がまだ比較的高いうえ、大気が多くの水蒸気を含んでいて、朝夕の気温が下がることも多くなって霧が発生する条件が整いやすくなります。俳句などの季語では、春のものを「霞(かすみ)」、秋のものを「霧」と呼び習わしますが、その区分けが出来たのは平安時代ごろからで、基本的に霧と霞は、おはぎとぼたもちのように同じものです。

霧は太陽光線をさえぎり(そもそも「霧」の語源は、「さえぎる(り)」という言葉だといわれています)、作物を濡らして、一般的には農作物に害をもたらすものととらえられています。実際その通りなのですが、その一方で霧の湿気が作物を潤したり、あるいは霧が晴れた後の蒸散作用で作物の生育に有益な場合も少なくありません。
たとえばお茶(ツバキ科カメリア属)の葉は、成長期に多湿で、朝夕霧の発生する地形を好みます。世界的には「霧の蘇州」といわれ、霧の発生することで有名な中国の江蘇省東南部蘇州市は中国緑茶の名産地。日本でも、京都の宇治、霧島、埼玉県狭山、静岡など、どこも山間丘陵地や盆地で霧が発生しやすい地形の土地です。夜間日中の寒暖差が大きく、土地が酸性のやせ地で、霧が発生しやすい、そんな環境をお茶の木は好みます。
また、最高級デザートワインとしてつとにその名を知られる貴腐ワインも、霧の発生がなければ成り立ちません。
ブドウの収穫期の秋、朝霧の湿度により完熟したブドウに「ボトリティス・シネレア(Botrytis cinerea)」というカビが付くことがあります。このカビは基本的にはどこにでもあるカビ菌なのですが、一部の白ワイン用品種の成熟した果粒にこの菌が単独付着した場合のみに好影響をもたらすことがあるのです。表皮のワックスを食べ、皮に無数の穴を空けます。そして、霧が晴れる日中に、乾燥した空気によってブドウの水は一気に蒸発します。この一連の工程を何日も繰り返すと、やがて果汁が凝縮され、普通のブトウをはるかに超える糖度とコクを備えた干しブドウのような状態に。
これを「貴腐化」といい、この特殊なブドウを搾った果汁から造られるワインを貴腐ワインというのです。つまり貴腐ブドウが収穫されるためには、夜間には霧の発生(20℃前後・湿度75%以上)によって菌が繁殖し、昼間には乾燥によって水分が蒸散するというサイクルが必要であるため、特定の条件を備えた生産地などに限定されるというわけです。
フランスのボルドー(ソーテルヌ)、ロアーヌ、ドイツのラインガウ、モーゼル、ハンガリーのトカイ地方などが銘醸地として有名です。トカイは、貴腐ワインの発祥の地といわれています。 

「霧」は人の想像力に働きかけ名作を生み出してきました

朝霧に霞む千曲川

朝霧に霞む千曲川

「五里霧中」などという成語もあるとおり、霧に包まれると人は孤立感や不安感をおぼえるよう。過去や未来、人とのかかわりを途絶されて独りきりになったような感覚にとらわれるため、霧からはじまる物語や伝説は数多く、またそれらのほとんどはミステリアスでときにホラーチック。古典では「アーサー王伝説」のアーサー王が戦いに傷つき永眠したといわれる「アヴァロン」は霧の彼方にある島だといわれ、スティーヴン・キングの中編小説「霧」を原作にした映画「ミスト」では、ある町を襲った濃霧の彼方から、恐ろしい存在が現れ人々を襲います。キング作品には「霧」に限らず、たびたび霧が登場しますね。
日本では、

鞭聲粛粛夜過河(べんせいしゅくしゅく よるかわをわたる)
暁見千兵擁大牙(あかつきにみる せんぺいの たいがをようするを)

の頼山陽の詩吟で有名な、武田信玄・上杉謙信の川中島四度目の激戦「八幡原の戦い」でも、霧が大きくドラマを盛り上げます。
武田軍のとった遊軍による挟み撃ち戦法「啄木鳥(きつつき)の計」を上杉軍が察知、濃い霧に乗じて陣をはらい、千曲川を音を立てずに移動。明け方の濃霧が晴れると両軍が至近距離にあったことで互いに仰天、大混戦となったといわれます。
アニメ映画「千と千尋の神隠し」の原作とも言われる「霧のむこうのふしぎな町」(柏葉 幸子)は霧をぬけた向こうにある奇妙な異界に暮らす住人たちと、主人公リナの交流を描いたものでした。 

霧積む山翳にたたずむ郷愁とミステリーの秘湯

過ぎ行く夏を惜しむ季節

過ぎ行く夏を惜しむ季節

霧といって忘れられないのは、森村誠一の小説「人間の証明」と、それを原作とした映画・ドラマで一躍有名となった霧積温泉ではないでしょうか。群馬県安中市霧積温泉。江戸時代に猟犬が温泉を発見したという逸話があり、特に明治時代前期には40軒以上の湯宿や富裕層の別荘のある温泉街として繁栄。政財界、文学界の重鎮が馬や籠、人力車で訪れたといいます。明治憲法の草案も、投宿した伊藤博文らがここで起草したのだとか。
そしてこの温泉町を、明治43年の山津波(鉄砲水)によりほとんどが崩壊、流されてしまうという悲劇が襲います。そのとき、奇跡的に残ったのが金湯館。きりずみ館という旅館も後に作られたそうですが、2012年に閉館してしまい、現在は金湯館1軒のみが、深い山間に埋もれるようにたたずんでいます。
この霧積の金湯館を、推理小説家の森村誠一氏が大学生当時に宿泊、ハイキングに出掛けました。山頂で宿の弁当の包み紙に刷られていた西条八十の「帽子(ぼくの帽子)」の詩に目に留め、それをモチーフにしてあの名作「人間の証明」を著しました。

ぼくの帽子  西条八十

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
(中略)

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
(後略)

霧積温泉自体が、過去のほとんどが「雲散霧消」してしまった歴史にくわえて、西条八十の失われた子供時代を麦藁帽子に託した郷愁に満ちた詩。そして戦後の混乱期から高度成長期を経た日本が「黒い霧」の彼方に押しやり、ないことにしてしまった禍根。まさに霧に彩られた物語でした。
戦後も70年を越えて、戦前のことはおろか、もう戦後のことすら忘れはてられようとしている昨今。昭和レトロで素朴な秘境の湯につかれば、記憶の霧の彼方に忘れていた、懐かしく大切なものがふと思い出されるかもしれません。

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