改めて谷崎の人生(1886〜1965、明治19年〜昭和40年)を辿ると、日本橋生まれの谷崎に大きな作風の変化をもたらしたのは、1923(大正12)年の関東大震災による関西移住でした。生粋の江戸っ子として最初は関西になじめなかった谷崎ですが、次第に日本の古い伝統が残る神戸や大阪、京都の風土に魅了されていきます。
実際の恋愛経験が色濃く反映されているのが、谷崎の作品。私生活でもスキャンダラスな話題を提供し、当初は小説に毒婦や西洋風モダンガールを登場させ、作風は悪魔主義とも呼ばれました。しかし、関西の日々の中で、谷崎は次第に古典主義に向かいます。『蓼食う虫』では文楽など関西の伝統文化に惹かれていく心情、『陰翳礼讃』では闇と光という日本文化の美を述べ、続く『源氏物語』の口語訳ののち、ついに傑作『細雪』を発表します。
『細雪』は、戦前の船場の旧家・蒔岡家の四姉妹を描いた、谷崎の最大長編。三女の雪子の見合いが軸となっているものの、ストーリーは淡々と進みます。けれども当時の富裕階層の日々の生活や年中行事が細やかに、そして懐旧の念とともに、絢爛たる絵巻物風に綴られていきます。。物語の語り手・二女幸子のモデルは、谷崎の三番目の妻・松子。その姉妹たちをモデルとして描いたのが、『細雪』なのです。谷崎本人の立場となる幸子の夫・貞之助も、あれこれと妻と助け、姉妹たちの世話を焼いて活躍します。