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1980年代後半を舞台に描かれた漫画「ツルモク独身寮」。当時、映画化もされ多くの若者から人気を集めた。
その作者である窪之内英策さん。長年続けてきた漫画制作から現在はイラストレーションに活躍の場を移している。改めて「ツルモク独身寮」を見ると、そこには当時の若者たちが過ごしたその時の空気感と共に描かれている。当時私は20代で、登場人物とほぼ同世代なので、たしかにこういうファッションや髪型が流行っていたなと、とても親近感を覚えた。
先月、東京渋谷マルイで窪之内さんの個展が開催された。そこには「ツルモク独身寮」とはまた雰囲気の違う、現代の若者を描いた作品が多数展示されていた。会場には「ツルモク独身寮」時代のファンだけでなく、10代〜20代と思われる若者の姿も多数見られた。

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2016年2月に渋谷マルイで開催された個展『窪之内英策 原画展「LOVELY」』
好評のため会期が延長されたほど

漫画家の方というと、ご自身のスタイルを持っていて、一貫してそのスタイルを貫いているというイメージがある。
しかし、窪之内さんの作品からは、言葉では表現しにくいが、その時代の空気を捉える「何か」を私は感じた。だからなのだろう、窪之内さんの作品はいつの時代も若者の心を捉える魅力にあふれている。

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そのイラストレーションの制作では、窪之内さんはぺんてるの「オレンズ」を愛用されている。ご自身のこれまでの創作活動、そして「オレンズ」をはじめとする執筆スタイルについて色々と興味深いお話しを伺うことができた。

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壁一面に展示された鉛筆とシャープペンで描かれたイラストレーションの数々。
若い人たちが食い入るように見ていた。こうした個展では珍しく撮影OK。
「作品を写真で写したところで再現できるものはせいぜい50%くらいのもの」と
窪之内さんは考えている。実物に勝るものはないという理由から撮影をOKにしたそうだ。



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窪之内さんご本人によるライブドローイングは大変な人気だった
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『第2回全国漫画家大会議 in まんが王国・土佐』(2016年3月)
この中でも窪之内さんの原画が多数展示され人気を集めた。
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窪之内さんがイラストレーション制作で「オレンズ」0.2mmを
実際に使っているということで来場者の関心を集めていた


■子供時代、衝撃を受けた「ドラえもん」

小学生の頃、親から「小学一年生」という雑誌を毎月買ってもらい、それを読むのが楽しみだったという窪之内少年。その中に「ドラえもん」があった。これまで見たことのない絵、ストーリーでこんなに面白いものがあるのかと大変に驚いたという。
その魅力は「日常とのつながり」だと、窪之内さんは当時を振り返る。
ストーリーは、ドラえもんが便利な未来の道具を次々に出すというファンタジーがベース。ただ、のび太が使い方を勘違いして思わぬことへと話しが展開して・・・。ファンタジーにかたよりすぎず、ほどよく家族や友達との友情といった日常が織り交ぜられている。そのさじ加減が絶妙だったという。

単行本が手垢で真っ黒になるくらい、繰り返し読んだという。表紙の裏側にある藤子不二雄氏の顔写真を眺めつつ、よし自分も漫画家になろうと決意する。まだ小学生だった窪之内少年の決意は、その後見事に果たされていくことになる。


■就職先で着想した代表作「ツルモク独身寮」
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もともと絵を描くのが好きだったということで、漫画家を目指そうと決めてからは自分でも漫画を描きはじめた。
窪之内さんには漫画を描く上でこだわっていることが当時からあった。それは自分のために描くのではなく、人に見せるために描くということ。自分で描いたものを見せて、人が喜んでくれるのがなにより嬉しかったという。喜んでもらうことが描く原動力になっていた。

そんな窪之内少年にも現実の壁が立ちはだかる。
高校2年生の時、「小学館コミック大賞」に応募した。2次審査まで進むも、惜しくも落選してしまった。たしかな手応えを感じつつも、一方で家族や学校など周辺から就職というプレッシャーがじわりじわりとのしかかってきた。漫画家になる夢は抱きつつ、ひとまず就職することにした。人生とはわからないもので、この就職がその後の窪之内さんの人生の大きな転機となる
就職先は愛知県の「カリモク家具」という大手家具メーカー。その頃は絵を描く腕に自信があったので、入社後はすぐに家具のデザインができるだろうと思っていた。しかし、入社したての若者にはそうした仕事はさせてもらえず、来る日も来る日も製造ラインで家具を組み立てる仕事が続いた。担当したのは、重たいサイドボードをラインに乗せてボンドで固定するという力仕事だった。その仕事のせいで右腕の筋肉だけがたくましくなっていったという。なぜ才能で評価してくれないのだろうと不満が募り、上司に漫画家を目指しますと伝え、わずか1年で会社を辞めていくことにした。

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ただ、この「カリモク家具」での経験がその後の漫画家人生に多いに活かされる。
当時、会社の寮で生活していたのだが、その時の経験がベースとなり代表作「ツルモク独身寮」が誕生したのだ。「ツルモク独身寮」と同じ4人部屋の共同生活。窪之内さんのように将来に夢を持っている若者がたくさんいた。
ちなみに「ツルモク独身寮」で登場する先輩の「田畑重男」さんは、当時モデルになった人がいたという


■5年の漫画家キャリアから、イラストレーターへ

20才で「小学館コミック大賞」に入選し、窪之内さんが小学生の時に決意した漫画家人生がスタートした。その後「ツルモク独身寮」をはじめとする数々の漫画を世に送り出してきた。子供時代の夢をかなえ、はたからは順風満帆な人生のように見える。
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しかし、私たちが考えるより漫画家人生は楽なものではない。連載を抱え、日々嵐のような忙しさだったという。毎週、たくさんの原稿を描きあげ、週に1回の徹夜は当たり前。睡眠時間がとれてもせいぜい2〜3時間程度。どうにか休みがとれると1日18時間くらい、まさしく泥のように寝るという生活だったという。20代の若い頃ならまだしも、30代、40代になるとさずがにきつくなる。肉体的にも精神的にも限界が達しつつあった。

なによりこの時は作品をひたすらアウトプットすることばかりに追われていた。日常で会話する相手と言えば、担当編集者とアシスタントくらい。日常がどんどん狭まっていることに危機感を覚えた。アウトプットするには、インプットもしなくてはならないと。
そして45才の時に、連載を終了し、いったん漫画を描くことをやめた。

今までやってきたことをやめてしまうことに不安はなかったのだろうか?

「全く悩みませんでした。自分の腕があればいつでも復活できるという自信がありました」