日本では、かつては「むし」は「虫」ではなく「蟲」と書き、昆虫や陸生節足動物に加えてトカゲやヘビ、カエル、コウモリなど、じめじめした場所に出現する得体の知れない小さな生き物全般を指しました。こうした大和言葉としての概念をあらわす「むし」が、「蟲」という文字にあてられました。
しかし中国では「虫」と「蟲」とは元来意味が違いました。
「蟲」のほうが古い文字で、「虫」はその略字体と思われるむきがありますが実は「虫」のほうが古い文字。漢字の原型である甲骨文字や、殷の時代の青銅器の金文にも「虫」は既に登場します。毒蛇のマムシをかたどった象形文字で、つまり本来はヘビのこと、後に爬虫類全般を意味するようになりました。ちなみに爬虫類の「爬」とは「鉤爪で這いずり回るさまを表す言葉で、ヘビに似て、手足のある蜥蜴(とかげ)やヤモリなどのことをあらわす文字です。
一方、「蟲」の文字は周時代の末期の戦国時代(BC5~3世紀)にはじめてあらわれます。音は「チュウ(chóng)」。宋時代の「集韻」という辞書(宋代、1039年)には、「裸毛羽鱗介之總稱」と説明されています。裸蟲、毛蟲、羽蟲、鱗蟲、介(よろい)蟲、すべてを「蟲」という、という意味。蟲の字の音と意味とが、現代の虫の字につながっているのです。
虫と蟲の意味が別だった時代、次第に個別の生物を表す文字が出来ていきます。それらの部首などに「蟲」を付けるとき、蟲の字の画数、煩雑さが省略されて「虫」に置き換えられました。虫偏は、本来「蟲」の意味です。