太宰治記念館「斜陽館」
青森県北津軽郡金木村(現在の五所川原市)に、県下有数の大地主の6男として生まれた太宰。津島家は「金木の殿様」と呼ばれていたほどで、父は県会議員、衆議院議員等をつとめた地元の名士でした。太宰は、家の商売を通じて貧富の差や兄弟の間にも存在する身分の格差を実感し、裕福な自己の境遇を忌み嫌うようになります。病弱な母に変わり主に乳母タケによって育てられますが、タケが小説家太宰治誕生のきっかけをつくったといわれています。やがて時間を忘れるほど読書に熱中した太宰は、作家を志すようになり泉鏡花や芥川龍之介の作品に傾倒していくのです。
太宰治記念館「斜陽館」は太宰の生家であり、多感な幼少期を過ごした場所。和洋折衷・入母屋造りの豪奢な建物は、国の重要文化財建造物に指定されています。総工費は当時の金額で約4万円、現在価格はなんと7~8億円! 館内には太宰が産声をあげた部屋があり、蔵を利用した資料展示室には、生前着用していたマントや執筆用具、直筆原稿、書簡などのほか、初版本や外国語の翻訳本の展示も。太宰ファンの聖地ともいえる斜陽館は、作品のさまざまな場面に思いを馳せながらじっくり過ごしたい場所です。
斜陽館の近くにある太宰治疎開の家(旧津島家新座敷)は、兄夫婦の新居として建てられた津島家の離れで、太宰が執筆を行った家として唯一現存している貴重な建物です。1945年7月より1年4カ月間をこの家で過ごし、『パンドラの匣』『苦悩の年鑑』『親友交歡』『冬の花火』『トカトントン』など、多くの作品を書きあげました。また、少年時代を描いた『思ひ出』に登場する金木山雲祥寺もぜひ訪れたい場所。乳母のタケと共にやってきた幼い太宰が恐れおののいたという地獄絵(十王曼陀羅)は必見。境内には太宰治記念碑もあり、太宰ファンゆかりの地となっています。