陳麻婆豆腐店の麻婆豆腐
豆腐の発祥は中国といわれており、一説では前漢時代の劉安(BC179年~BC122年)が発明した、と明の李時珍(1518年~1593年)によって薬学書「本草綱目」に記されていますが、それを実証する証拠は見つかっていません。
日本には、奈良時代に唐から帰った学者や僧侶により伝えられたといわれています。文献にあらわれるのは平安時代の末期、春日大社の神主の日記中に「春近唐符一種」とあり、この「唐符」(とうふ)が豆腐の当て字の記載として最古のものといわれています。はっきりと「豆腐」という言葉が記されるのは鎌倉時代の日蓮の書簡中にまで時代が下ります。
ところでどうして「豆腐」は、大豆を腐らせた発酵食品ではないのに「腐」と名がついているのでしょう? そんな疑問を持つ人が多いせいか、中国から豆腐が伝わった当時、納豆もしくは味噌と豆腐とを取り違えて覚えられたのではないか、という俗説がとなえられるようになりました。本当は「豆を腐らせたもの」=豆腐が納豆、味噌、「豆を箱に納めて絞ったもの」=納豆が豆腐なのではないか、名前が入れ替わってしまったのではないか、というわけです。
しかし、中国では古代から「腐」を「組織を分解して脆くする」「食べものを細かく粥状にする」といった意味でも使っていました。本来消化がしにくい食物である大豆をひき潰し、どろどろにして作る豆腐は、まさにそれにあてはまります。たとえば魚のすり身も「魚腐」といいます。
一方、梅棹忠夫氏による説では、南北朝時代(5~6世紀)、北方遊牧民族の乳製品であるチーズ状の保存食(カード)が中国(中原)に持ち込まれた際、不遜尊大な漢民族は野蛮な遊牧民の食物であることから意図的に卑しめて「乳腐」と名づけ、やがてその製法を大豆を用いて作るようになった際、そのまま「腐」の字を当てて「豆腐」としたのだろう、としています。
どちらの説にしても、豆腐は日本で納豆や味噌と間違われて、そう呼ばれるようになったというわけではなく、発祥地の中国でも最初から「豆腐」と呼ばれていたことに間違いないのです。
さて、そんな中国の代表的な料理といえばやはり麻婆豆腐。日本人も大好きですよね。
日本には有名中華料理店の陳健民氏が伝えたとも言われますが、中国で生まれたのは清の時代、四川省の首都、成都(三国志の「蜀」の国の首都として有名ですね)の陳興盛飯舖を営む陳森富の奥さんが作る豆腐料理が美味しいと評判になりました。奥さんにはあばた(麻点)があって陳麻婆と呼ばれて親しまれていたので陳麻婆の作る豆腐料理で陳麻婆豆腐と呼ばれるようになりました。
ちなみに本場では日本とはちがい、たっぷりの油を熱々に熱して作ります。葱ではなく葉ニンニク(青蒜・チンスァン)、豚挽き肉ではなく牛ひき肉を使い、仕上げに花椒をこれでもかとぶちこみます。食べるとぴりぴりとしびれて、これが病みつきに。ご飯にかけて食べるのが美味しい日本のマイルドな麻婆豆腐もたまりませんが、刺激的な本場の麻婆豆腐もやはり絶品。最近は日本では本場の麻婆豆腐を提供してくれる店も増えているようです。