「宇宙の秘密が知りたくなった、と思うと、いつの間にかじぶんの手は一塊(いっかい)の土くれをつかんで居た。そうして、両(ふた)つの眼がじいっと其れを見詰めて居た。
すると、土くれの分子の中から星雲が生れ、其の中から星と太陽とが生れ、アミーバと三葉虫とアダムとイブが生れ、それから此の自分が生れて来るのをまざまざと見た。
……そうして自分は科学者になった。
しばらくすると、今度は、なんだか急に唄い度くなって来た。
と思うと、知らぬ間に自分の咽喉から、ひとりでに大きな声が出て来た。(中略)
声が声を呼び、句が句を誘うた。(中略)
……そうして自分は詩人になった。」
『二十二のアフォリズム』で上記のように自分を表した寅彦が、若い頃に『新年』と銘して綴った文章があります。
「一年の中楽しき事も多かるべし されど又悲しき事も多かるべし かくて年やうやう暮れんとする程には心自ら安からず煩はしき事のみ多きものなるがここに巧妙なる「天然」は四季の変化を造りて新年を立返らしめ漸く失意の闇路に迷はんとする人心を導きて再び希望の光に沐せしむ(中略)
新年楽しからずと論ずるものには論ぜしめよ 吾人は只全心を捧げて此楽しく美はしき『希望の春』を迎ふべきのみ」(引用:『寺田寅彦全集〈第17巻〉』)
いろいろあったこの一年。年末も煩わしい事ばかりだけれど、自然の営みのおかげで新しい年を迎えれば、また希望の光が訪れる。みんなで楽しく年の始めを迎えようではないか…と解釈できそうですね。たまには凡人の私たちも、牛頓先生の視覚の冒険を真似しつつ、宇宙と珈琲を両手に楽しむ新しい年を迎えましょうか。
・しべりあの雪の奥から吹く風か
・鮟鱇(あんこう)も河豚(ふぐ)も喰ふなり年の暮
・御降(おさがり)や寂然として神の鶴
・元旦や子供等は皆人となり
・南窓や梅一輪の初日影
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