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Olympic ロサンゼルスオリンピック(1984年)男子マラソン エース瀬古無念の失速、宗猛4位入賞
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2024/04/25 22:35
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Olympic ロサンゼルスオリンピック(1984年)男子マラソン エース瀬古無念の失速、宗猛4位入賞
1984年ロサンゼルスオリンピック。
日本から出場した3選手は後半まで先頭集団に着いていくが、初めて真夏のオリンピックに挑んだエース瀬古利彦は35km手前くらいから遅れ始める。なんとか完走を果たしたものの、国民の期待には応えられず、14位でゴールとなった。
これまで中距離出身者らしくスピードのあるラストスパートで勝利を収めてきたが、試合後のインタビューにおいて暑さで練習不足になった影響で、スタミナ不足であったこと。また初めてとなる暑さの中でのマラソンに対する不安が試合で如実に現れたと語った。
代わりに健闘したのは双子のランナー宗兄弟の弟・猛。瀬古と宗茂が先頭集団から遅れた後も先頭に食らいつき、(意地を見せたが)4位でゴール。あと一歩メダルには届かなかった。また兄の宗茂は17位であった。
優勝したのはカルロス・ロペス(ポルトガル)。
この時既に37歳のベテランだったロペスだが、カリフォルニアの強い日差しにも負けず、宗猛(日本)、チャーリー・スペディング(イギリス)、ジョン・トレーシー(アイルランド)を振り切り2時間9分21秒のオリンピック記録(当時)で金メダルを獲得。
この記録は24年後の2008年北京大会まで破られることがなかった。
1984年ロサンゼルス大会におけるマラソンで、国民が最も期待を抱いたのは瀬古だった。
1956年三重県に生まれ、陸上の名門四日市工業高でインターハイ及び国体で数々の優勝を重ねて中長距離界期待の星となると、早稲田大進学後、競争部に入部し、監督であった中村清の勧めで、中距離からマラソンへと転向を決意する。
箱根駅伝では1年生から4年連続で花の2区を走り3、4年時には区間賞を獲得。
1977年、大学1年生の時に出場した京都マラソンで10位となり、同じ年の福岡国際マラソンでは5位入賞を果たす。(翌年から福岡国際マラソンを3連覇)
翌1978年のボストンマラソンでは2時間10分12秒の学生記録で2位となる。
これらの活躍からモスクワ大会の代表に選ばれるも、政治問題による西側諸国のボイコットによりオリンピック出場はお預けとなった。
その後1981年のボストンマラソンでは大会新記録で優勝したが、その後怪我に悩まされマラソンから遠ざかる。
しかし1983年の東京マラソンに出場し、2時間8分38秒の日本記録で優勝して復活。一躍金メダル候補としてロサンゼルス大会に挑んだ。
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2016/07/26 19:08
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